スローガンは「原宿から世界へ」。今回のアジアオーディションを擁護する声は、どれもこのスローガンを持ち出す。そして、そのどれもが読み違えている。「世界へ」の部分に戸惑った人など、はじめから誰もいない。それは最初から計画のうちだった。人々が反応しているのは「から」のほうだ。
7月11日、KAWAII LAB. SESSION 2026 SUMMERにて、アソビシステムはKAWAII LAB. ASIA GLOBAL AUDITION 2026を発表した。すでに韓国、中国、タイ、インドネシア、ベトナムに住んでいる人を対象に、KAWAII LAB.の名のもとでアイドルを目指す人材を募集するというものだ。詳細はこれから。形式も、言語の要件も、既存グループに加わるのか新グループを作るのかも、何ひとつ公表されていない。公表されているのは方向性だけだ。人材が日本の外から集められる、ということ。
反応は速く、そして大半が否定的だった。それは二つの論点に分けて考える価値がある。ひとつは「キャパシティ」の話であり、もうひとつは「KAWAII LAB.のアイドルとは何なのか」という話だからだ。
キャパシティの問題
KAWAII LAB.は現在、五つのグループを抱えている。FRUITS ZIPPER、CANDY TUNE、SWEET STEADY、CUTIE STREET、そして2025年12月に結成されたばかりのMORE STARだ。その上に二つの育成グループ、MATESと、はるばる九州を拠点とするSOUTHがあり、さらに毎年のオーディションに加えて今回の募集が乗っている。一つのプロジェクトが動かすには、あまりに多くのパーツだ。
ファンは計算した。オーディションが増えれば育成生が増え、育成生が増えればグループが増える。そして不満はこうだ。レーベルはすでに、今あるグループすら十分に面倒を見きれていないのではないか。ある反応は「GREEDY lab(強欲ラボ)」と呼び、この拡大を質の低下に直結させた。人が多すぎて、目が行き届かず、水準が落ちていく、と。もっと短い反応もあった。「もう笑えない、これ以上グループを作るのはやめてくれ」。
誰もが引き合いに出すのがMORE STARだ。昨年12月に結成されたばかりのグループには、まだ積み上げる時間が必要で、本来なら海外展開と酸素を奪い合うのではなく、ワンマンを終えて勢いをつけている時期のはずだ、という主張である。ここは、自分が確認できることの限界について正直でいたい。ファンはMORE STARが苦戦していることをほのめかすが、その具体的な中身は公表されておらず、実際の問題が何なのかを私は突き止められなかった。言えるのは、それがなくても構造的な論点は成り立つ、ということだ。FRUITS ZIPPERとCUTIE STREETを除けば、KAWAII LAB.のグループは一般に名前が知られているわけではないし、その二組にしても、それぞれ数曲のバズった楽曲に大きく依存している。さらに悪いことに、グループはスタイルが似通っていて、外から見る人には区別がつきにくい。五組、それに育成生まで加われば、プロジェクトに深く入り込んでいない人にとっては、すべてが一つに溶け合ってしまう。これは、ヒットが数えるほどしかないのにグループばかり多いプロジェクトなのだ。地平線を見る前に、足元を見てほしい。その直感は正しい。
擁護論と、それが崩れるところ
バックラッシュに対する反論もあった。そして、その一部は正しい。
いちばん強い擁護論はこうだ。KAWAII LAB.の離脱率は5%未満で、メンバーが45%の割合で辞めていき給料の保証もないような事務所とはまるで違う。だから「人を抱えきれない」というパニックは大げさだ、と。そして、五つのアジアの国を名指しした以上、海外グループを示唆しているのは明らかで、それはスローガンが言っている通りのことをしているだけだ、と。ブランディングに忠実であろうとして拡大することは、強欲から拡大することとは違う。個人的な意見を反資本主義の言葉で包んでも、それが客観的になるわけではない。
離脱率の指摘は正当だし、私も争わない。低い離脱率は、この仕組みが人を使い潰していないことの、確かな証拠だ。
だが、スローガンの論点こそ、擁護論が肝心なところをすべて明け渡したうえで、逃げ道を一つ付け足している場所だ。そう、「世界へ」はブランディングだ。誰もそれを否定していない。擁護論は、誰もしていない主張に答え、実際に投げかけられた問いのほうを、そっと飛ばしている。問いは「KAWAII LAB.は世界に届くべきか」ではない。「アイドルそのものが日本の外から来るべきか」だ。この二つは別の問いであり、争点になっているのは片方だけだ。
「から」は「へ」ではない
日本のものを外へ送り出すことと、そのもの自体を外から調達したパーツで組み立てることのあいだには、本当の違いがある。「原宿から世界へ」が描いているのは前者だ。アジア全域のオーディションが指し示しているのは後者だ。メンバーがジャカルタやソウルやバンコクから集められるなら、それはどういう意味で「原宿から」なのか。これはマーケティングの一文についての揚げ足取りではない。そのものが何なのか、という問いだ。
そして発表は、それが投げかける現実的な問いに、何ひとつ答えていない。彼女たちはどこを拠点にするのか。おそらくファンベースのある日本だろう。彼女たちに何が求められ、その求めが緩ければ何が壊れるのか。日本語を学べるかどうか、ということではない。もちろん学べる。そうではなく、流暢さは必須なのか、移住は必須なのか、その「もの」を成り立たせている日々のファン文化に参加することは求められるのか。チェキはどうするのか。あの形式は、ファンとメンバーのあいだの、現実の、対面の、同じ言語での一瞬にすべてがかかっている。彼女たちは原宿に馴染むのか。それとも原宿は、どこか別の場所で組み立てられた何かに印刷されたロゴになるのか。
これは、どこの誰であれ締め出そうという壁ではない。グループにはすでにハーフのメンバーがいるし、それが問題だったことは一度もない。海外出身のメンバーが数人いても、グループのアイデンティティが根本から変わることはない。だが、海外出身のメンバーがグループの多数派になれば、グループは変わる。そしてその後も変わり続ける。「日本らしさ」は中身であることをやめ、外側に貼られたラベルになる。
なぜ「日本らしさ」こそが核心なのか
ここが私の立ち位置だ。そして、それは小さな好みの問題ではない。私にとって、アイドルの魅力、そもそもこの文化が面白い理由は、いつだって、それが紛れもなく日本的だという点にあった。その内側には日本文化が息づいている。言葉、ファンの作法、ライブハウス、チェキ文化、そしてファンとメンバーの双方がすでにその中で生きている共通の文脈。それこそが、K-POPとこの文化を分けているものだ。K-POPはJ-POPから生まれ、やがて独自のものになった。より洗練され、より機械化され、そして私にとっては、アイドル文化としては、その分だけ面白みの薄いものになった。メンバーの多くがもうその環境の出身でなくなれば、文化そのものが必然的に変わりはじめる。到達範囲のために「日本らしさ」を削り落としても、人々が愛しているものの拡大版が手に入るわけではない。名前だけ同じの、別のものが手に入るのだ。
だから立場は単純だ。KAWAII LAB.に、これ以上グループは要らない。五組あって、育成グループも二つあり、プロジェクトに深く入り込んでいない人にとっては、今の時点ですでに一つに溶け合っている。ロスターには個人的に本当に好きなメンバーもいる(こはく、あいか、はるか)。彼女たちのためになるのは、成長する余地であって、前の戦線がまだ足場を固めないうちに六つ目の戦線を開くことではない。
そして、もし本当に世界を目指すのなら、もっと良い手順がある。KAWAII LAB.が世界的なブランドになりたいのなら、私はむしろ、アイドルそのものの出どころを変える前に、海外ツアー、海外のファンクラブ、そしてすでに海外にいるファンのためのグッズやイベントへのアクセス改善に投資してほしい。まずアクセスを直すことだ。海外ファンにとって実際に壊れているのはそこであり、そこを直すのに、グループが何であるかに手をつける必要はない。
それに、そもそもこのオーディションが何なのか、という正直な問題もある。発表は、この募集で集まる人たちが既存の日本拠点のグループに加わるのか、AKB48方式の海外姉妹グループを作るのか、それとも何か別のものになるのかを、明らかにしていない。そしてそれらはまったく異なる話だ。一方は、私がここで述べてきた懸念そのものだ。もう一方は、スローガンが実際に約束したものに、むしろ近い。アソビシステムは、それがどちらなのかを、そして早めに、はっきりさせるべきだ。
「世界へ」は、いつだって約束だった。そして、それは良い約束だった。「原宿以外のどこかから」は、誰も申し込んだ覚えのない部分だ。詳細はこれから出てくるし、形式がこの一部に答えるのかもしれない。だが、これらは今こそ問うべき問いだ。まだオーディションであって、グループになる前の、そしてそのグループが、いつのまにか誰もが静かに受け入れる既定路線になってしまう前の、今こそ。
